1999年に最初に美篶堂のオリジナルノートを作ったときは
手のマークの箔押しを入れたもの、小口をマーブルに染めたもの、それから小口を染料で染める小口染の3種を同じサイズで作りました。
マーブル染も、小口染もお仕事の依頼がなければ職人が作り方を継承できなくなってしまうため、オリジナル商品として作って、手を動かす機会が途絶えないように考えたものでした。
マーブルも難しいのですが、小口染も染ムラのないようにするためにどうしたらよいか、親方より必ず染のスタートははじからスタートして、同じ回数だけぬらないといけない。と教わりました。単色の方がむしろ難しい、と作り手の中心人物である上島真一さんが話します。
受注仕事の合間に作るので、普通の文房具店で販売されているものよりはたくさんは作れないけれど、なんとか在庫をもちながら、再注文に応え続けていました。
ノートを売れるまでは会社が材料を購入して、在庫して、管理してと、なるとオリジナル商品を絞っていかないと経営が難しい。最初は5色作っていたのを10年前に「3色にまでしぼり、そうして、みんなで相談した結果、谷川俊太郎さんと作ったコトノハノートという活版印刷の詩のノートも作ったため、みすずノート小口染は今ある色で終了にすることにしました。その後はHPでオーダーのページを作り、切り替えていこうと発信しました。そしてHPリニューアル作業は、コロナ禍、仕事が減り、リモートで仕事ができる人たちは自宅で作業してもらっていました。
そんな中、私が一人で東京営業所にいますとお電話をいただきました。
「一青です。」一青窈さんです。みすずノートをずっと詩を書くのに使ってきたので、そろそろオンラインで注文しようとしたところ、HPをみて、小口染がなくなると困る、とお電話でもメールでも、涙がでるあたたかい励ましをいただきました。
実はHPをリニューアルして小口染はオーダー製に切り替えていきたい話をしますと、一青さんが第一号になってくださりました。染も一青さんの好みを伺い、いくつか見本を送り、ロゴもオリジナルでマークの凸版を作り、空押しをいれました。
サンプルも2色染めて、一青さんの本棚に置き、「コロナ禍少しでも気分が上がる方」と明るいスカーレットに決定。一青さんがお使いの分と、ファンクラブの方々への分と合わせてのご注文となりました。
本棚に置かれた新しいノートのサンプルの隣にこれまで使ってくださっていたみすずノートが数冊あったので、「とても光栄です。」とメールしますと、別の場所にしまってある他の大量のノートの画像もお送りくださり、胸がいっぱいになりました。
一青さんは谷川俊太郎さんと作っているコトノハノートも使っていてくださり、俊太郎さんのファンであることもうかがっていたので、本づくり協会会報誌で、取材させていただいた号を送らせていただくなどしますと、なんとCDを送ってくださり大変驚き、ありがたいことでした。あの有名な曲、エネルギッシュな曲、エキセントリックな曲、とてもやさしい曲。間接的に詩を生むお手伝いをさせていただいている。製本屋冥利に尽きます。