コラム

『谷川俊太郎×嘉瑞工房×美篶堂 コトノハノート 』上島明子

2021/10/25

谷川俊太郎さんの第一詩集『二十億光年の孤独』19歳の俊太郎さんの瑞々しい言葉のなかに、「わたくしは」という詩があります。

「わたくしの生命は 一冊のノート」

ではじまる詩を、美篶堂の仕事をはじめた頃読み返したとき、それまでと違う意味が、私の中で、立ち上がりました。

「この詩にでてくるノートを、美篶堂で作れたら素敵だな。そういう仕事がしたい。」と、胸に秘めて働いていました。

当時、東京の製本所をたたみ、伊那製本所に集約して、東京はショップ・工房・ギャラリーとして、自分達で考えたオリジナル商品を販売したり、ギャラリーで展示を企画したり、東京で営業をしたりしていました。

手仕事の需要が減っていくなか、美篶堂が社会のお役に立てることは何か、考えていた時に、技術と経験をまとめ、一般のみなさまに本の作り方の書籍ができないかと思いたち、勇気を振り絞り、デザイナーのセキユリヲさん、編集者の宮後優子さんに相談しました。

そこで『はじめての手製本 製本屋さんが教える本のつくりかた』(現在は河出書房新社より『美篶堂とつくるはじめての手製本』として刊行)がもうすぐ出来上がるとき、この本はどうしても多くの方の手元に届いてほしい。

どなたかに推薦文を書いていただけないか、と考えました。

さらにさらに勇気を振り絞り、谷川俊太郎さんにお手紙を書きました。

ひとつは、俊太郎さんの「わたくしは」という詩を美篶堂がもともとつくっていたみすずノートの最初と最後に、活版印刷で和文欧文で印刷して収めたノートを作らせてほしいこと。

もう一つは今作っている美篶堂の書籍の帯に言葉をいただけないか、

という内容でした。

数日後、お電話いただき、書籍はゲラをみてから考える。ノートはすぐに作りましょう、と、お店にやってきてくださいました。

そうしてはじまった、谷川俊太郎さん、活版印刷の嘉瑞工房の高岡昌生さん、とのノートづくり。

この時、『はじめての手製本』のテキストを書いてくださった白井明大さんが

「コトノハノート」と名付けてくださいました。2009年のことでした。

その後「丁度その時」「ここ」を選び、俊太郎さんと、英訳者のウィリアム・I・エリオットさんと故・川村和夫さんに相談しながら作りました。


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