コラム

『ブロックメモキューブ誕生のお話』上島明子

2020/08/12

1997年私が美篶堂に入社しました当時、上島松男親方はとにかく製本の仕事に没頭しており、さらには仕事の合間に紙の裁落を使ってグラデーションを作り、絵のように額装したり、オブジェを作ったりしていました。

なかでも虹のグラデーション作品はさらに遡ること20年前、向井周太郎先生の作品制作を担当したこのときに先生とイメージをあたためていたものだったそうで、制作時はイメージの爆発という印象で、どんどん作品を作っていました。

工藤強勝先生がディレクションで、銀座で個展をした時は、たまたま展示をみてくださいました新井満さんから、その作品群を「断裁アート」と命名くださるお手紙いただき、エールを送ってくださいました。展示最終日には向井先生もドイツ帰りにわざわざ駆けつけてくださいました。 その頃は製本所のそこかしこに、断裁アートづくりのための、紙のグラデーションの束がごろごろしておりました。

勤めて2年の歳月が流れ、もともと服飾雑貨の商品企画をしていた私は、自社でステーショナリーが作れるのでは? と、親方と従兄弟の真一さんに相談し、仕事後にあれこれつくってみるようになりました。

最初に作ったのが、マーブル染のノートと、親方が作ったグラデーションの束を立方体に切り出してブロックメモとして、原宿シーモアグラスの店頭で売ってみました。 これが、虹色ブロックメモの一番最初でした。 このあと、虹色のシリーズを作っていくことになります。